笑う門には福来たる

 「笑う門には福来たる」。「病気」は「気の病い」と書きます。つまらないことで悩んでいるよりも笑って人生送れば自然と福も来るし、病いにも掛かりにくくなるのではないでしょうか。

 かくいう私も「極楽とんぼ」というあだ名のつくくらい生来楽観的な性格で、「人生そんな甘いもんじゃない」等よくお叱りも受けますが、やはり人生楽しいほうがいいに決まってます。

 こんな話を聞きました。あるご夫婦が東北地方の旅館に泊まった時、夜外出しようとすると、そこの番頭さんが「じいさん、ばあさん、いってらっしゃい」と言って送ってくれたそうです。ご主人さんは「じいさん、ばあさん」はないだろう、と思いましたがまあ胸にしまって外出しました。旅館に帰ると同じ番頭さんがまたしても「じいさん、ばあさん、おかえんなさい」と言って迎えたそうです。多少お酒も入っていたので、今度はご主人さん、「あのね番頭さん、いくらなんでもじいさん、ばあさん、はないだろう」と言うと、番頭さんは首を振って「そんなこと私言ってません。お客さんのお部屋が十三号室だから『十三番さん、おかえりなさい』と言っただけです・・」東北の訛りで「十三番さん」が「じいさん、ばあさん」に聞こえただけ。ご夫婦の奥さん、しばらく笑いが止まらなかったそうです。

 敵は己の内にありと言います。

 最近は中東やヨーロッパで起きるテロのニュースが多いですね。異教徒は敵、自分と同じものを信奉しない者は敵と、恰も信仰を利用して言い訳にしていますが、他人を殺していいなんていう宗教はこの世に存在しません。宗教を使って敵を作る言い訳にしているに過ぎません。

 「敵」といえば、皆さんには敵がいますか?いるとすればそれはどこにいるのでしょう。

 仏法では、敵というのは他のどこにも存在しません。他の誰でもありません。「敵は己(おのれ)の内にあり」といって、自分自身が最大の敵であると教えます。
 言われてみればその通りですね。仏陀は、自分自身に打ち勝つことが真の勇者であり、勝者であると言っています。他人を傷つけたり殺したりする人々は、勇敢でも何でもなくただ野蛮なだけなのです。   

 仏陀には提婆達多(ダイバダッタ)という従兄弟がおりました。ともに育ち常にライバルの関係にありました。とても優秀なのにどうしてもかなわない仏陀に提婆達多は嫉妬し、生涯に三度仏陀を殺そうとまでしました。ですから提婆達多という名前は仏教では悪人・敵の代名詞のようなものであります。その敵・悪人の提婆達多を仏陀はどのように見ていたかというと、法華経の第十二章「提婆達多品」の中で、「提婆達多は私の先生、善知識である」とおっしゃっています。提婆達多がいたからこそ自らが成長できたのである、と言うのです。

 何かにつけて誰か他の人のせい、どこか他に責任を転嫁しようとする今の世の中です。それはやはり勇敢に自らに打ち勝とうとしない、弱い逃げる姿勢から起きてくる心持ちに違いありません。自らに打ち勝ってこそ真の勝者であり、他人を傷つけたり殺めたりするのは本当は弱い者のすることです。

 これからの人生貪りの心、怒りの心、無知の心に負けそうになった時、心静かに自省し自らに打ち勝ってこそ必ず道は開けます。それこそが仏教徒の生きる根本姿勢でありましょう。共に己に打ち勝ち、幸せな人生を歩みましょう。

 

今日は何か、説法じみてしまいました…。

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