小生は子猫である

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おかあさん、早く迎えに来て…

小生は子猫である。まだ生まれたばかりである。しかしながらどうやら母親とはぐれてしまったようだ。この森林公園の片隅で、共に生まれた兄弟姉妹たちと息を潜めているように言ったきり帰らぬ母猫を待っていると、大きな黒いカラスが空から黒雲のように舞い降りて小生の片足をいきなり乱暴に咥えて飛び立った。悲壮な目で見つめる兄弟姉妹を眼下に、まだ小さくとも鋭い…かどうかは分からないが、爪をたてカラスの足を引っ掻きもがくと、堪らなくなったカラスは小生を思わず離してしまった。

何が起こったのかよくは分からないが、小生は公園の小道に横たわっているようである。動けない。周りは草木の他は何も無い。時々ニャーニャーと鳴いてみる。何も起こらない。お腹が空いた。喉も渇いた。食べるものも飲むものもなく、動くことも出来ない。ただ時々からだ中の力をふりしぼってニャーニャーと鳴いてみる。

どれくらい経っただろう。意識も薄れ朦朧としてして動けずじっとしていると、何かの気配を感じた。人が歩いてくるようである。それも犬を連れてである。犬は小生を見つけ「ワン、ワン」と吠えたてている。飼い主であるらしき人はそんな犬を制して小生をじっと見つめているようである。藁をも掴む思いでからだ中の力をふりしぼってニャーニャーと鳴いてみる。

暫くすると人と犬が再び歩き始める。しかしまた立ち止まったようだ。もう一度からだ中の力をふりしぼってニャーニャーと鳴いてみる。背後に気配を感じるが人も犬も暫く動かない。もうニャーニャー鳴く力もない。

知らず知らず意識が遠のいてしまったようである。相変わらず小生の上を春風だけが穏やかに通り過ぎる。目を開けるのも億劫だ。「おかあさん、早く迎えに来て…」と心の中で呟く。もう何もできない。

どれくらい経ったのか、ゆっくり薄眼を開けると何かがこちらにやってくる気配がする。明るい光の中でこちらにゆっくりと歩いて来る大きな白いからだ、おかあさんだ!やっと迎えに来てくれた。おかあさんは小生の動かなくなったからだを優しい目で見回し、からだ中を丁寧に舐め回す。からだが溶けるほどに至高の幸せである。やっと来てくれた。ありがとう…。力なくおかあさんの目を見つめると、この上もなく慈悲に満ちた眼差しで、優しい光で包むように小生のからだを見渡す。やっと会えた、おかあさん。やがておかあさんは小生の首をゆっくりと咥え、春風のそよぐ大空の大きな光に向かって翔び立った。何も怖くない。おかあさんと一緒だから…。

 

犬とその飼い主は、また今日も公園を散歩する。昨日の子猫はもういない。跡形もなくそこにはいない。「カラスに食われちまったかな…」と悲しそうに呟く飼い主に、犬のイチローは唯々空を見上げ、光の中に翔び立った母子の猫を思う。