ナーガールジュナについて(その1)

 その昔、2世紀ごろ南インドに生まれたナーガールジュナという人がおりました。この人の名は4〜5世紀に中国で訳経にあたったクマラジーヴァ(鳩摩羅什=くまらじゅう)という(現在でいうウイグル人ですが)人が漢訳して主に東アジアでは龍樹(りゅうじゅ)と呼ばれるようになりました。ナーガールジュナは最初部派仏教の僧でありましたが、その後大乗の仏教僧となりました。釈迦牟尼仏陀の縁起の教えから大乗の空の義を確立、「中論」をはじめとした多くの論書を著し日本でも八宗の祖と崇められました。ということは私たちが信仰する大乗仏教にとってとても重要な人物であるということですね。もっと龍樹について知っておくべきではないでしょうか。クマラジーヴァの龍樹菩薩伝の要約を下記に…長いので2回に分けて掲載しました。

(龍樹菩薩伝-1)

 ナーガールジュナ(龍樹菩薩)は、南インドのバラモンのカーストの出身であった。天性聡明で、不思議にものわかりがよく一度聞いたらなんでもすぐ理解した。まだ乳を飲み、食物を口に入れてもらっているような幼い時期に、バラモン達が四つのヴェーダ聖典、それはそれぞれの聖典に四万の詩句があり、一つの詩句は三十二の音節より成るのであるが、それを誦しているのを聞いて、その文章を諷吟して意義を理解したと言われている。弱冠にして世に名を馳せ、諸国に独り歩み、その学識は他の追随を許さなかった。天文、地理、未来の予言、及びもろもろの道術など、すべて体得しないものはなかった。

 彼には契りを結んだ親友が三人いたが、彼らもまたその当時傑出した秀才であった。彼らは互いに相談した。
「天下の事柄で、心を啓蒙し奥深い道理(幽旨)を悟るべき程のものについては、我らはすべてこれを究め尽くした。今後は何によって自ら娯しむことにしようか。情を馳せ欲を極める事は最も一生の楽しみである。然るに我々バラモンや修行者達は、王侯ではなく快楽を極めるだけの経済力がないから、何によって快楽を達成する事ができるであろうか。ただ隠身の術というものがある。これによってこそ快楽を達成する事ができるであろう。」
 四人は互いに相手を見つめたが、誰も反対する人がいなかった。そこで共に隠身の術を心得ている大家の所へ行って、隠身の法を教えてくださいと頼んだ。隠身術の教師は心の中で思った。
「この四人のバラモンは名を一世にほしいままにして、他の人々を草や塵芥のように見做している。しかし今はこの隠身術を得たいために恥を忍んで我について学ぼうとしている。このバラモン達は絶世の秀才であるが、彼らが知らないのはただこの隠身の術という賤しい法だけである。もしも我が彼らにこの術を授け、彼らがそれを得たならば、必ず我を捨てて、最早我に屈するという事はあり得ない。先ず暫く彼らに薬を与えて用いさせ、術を知らせないならば、薬が尽きた時、必ず我の所に来て、長く我を師とするであろう。」
そこでめいめいのバラモンに青薬を一丸だけ与えて、彼らに告げた。
「汝らは静かな処でそれを砕いて水で溶かして、それを瞼に塗ったならば、汝らの身体は隠れてしまって、それを見ることができる人はいないであろう。」
 ナーガールジュナはこの薬を砕いていた時に、その香気を嗅いで直ちに皆これが何であるかを識って、分量の多少、極僅かな少しの重さについても誤ることがなかった。薬を教えてくれた師のもとに帰って告げて言った。
「先にあなたからいただいた薬は七十種のものが混じっています。」
と、その分量の多少をあてて言ったが、すべて師の処方の通りであった。薬を与えた師は問うて言った。
「汝はどうしてその事を知ったのか。」
ナーガールジュナは答えた。
「薬にはそれぞれ香気があります。どうして知られない事がありましょうか。」
師はそこで感服して言った。
「このように優れた人のことは、聞くのさえも難しい。まして相い遇うというのは尚更である。こういう秀才に会ったのだから我の賤しい術は、どうして惜しむに足るだろうか。」そこで彼に術をすべて詳しく授けてしまった。

 四人は、仙術を体得してから、勝手気侭な事をして、自由に王宮に入って宮中の美人を皆犯してしまった。百余日たってから、後宮の女官で懐妊する者がでた。彼女達は心に恥じ、恐れながら、このことを王に申し上げ、罪を処罰しないでくださいと願った。ところが王は甚だ不機嫌で、「どうしてこんな不吉な怪しげなことがあるのだ」と言った。その時ある古老の家臣が言った。
「およそこのような事が起こるについては、次の二通りのうちのどちらかであろう。鬼魅が取り憑いたのか、或は誰かが仙術を行っているのであろう。細かな砂をすべての門の中に撒き、門番に注視させて行く者すべてが誰であるかを調べさせよう。もしも入って来る者が仙術を嗜む者であるならば、その足跡が自ずから現れるであろうから、兵士をつかって退治すればよい。しかし、もしも鬼魅が入ってくるのであれば足跡を残す事がないから、呪法の術でもってそれを退治すればよい。」
 そこで門番に命令して周到にその方法を試みてみたところが、四人の足跡を見つけたので大急ぎで王の所へ赴いて、その旨を奏聞した。王は強者の兵数百人を引き連れて宮廷に入り、すべての門を悉く閉じて、怪しげな者が外に出られないようにして、強者の兵士に刀を振るって虚空を斬らせてみた。そこで仙術を使った者どものうちで三人は直様死んだ。しかしナーガールジュナのみは、身を縮め呼気を抑えて王の側にいた。王の側七尺のうちには何人も入ってはならぬとされていたので、刀も及ばなかったのである。この時初めてナーガールジュナは悟った。
「欲は苦しみの本であり、諸々の禍の根である。徳を傷付け身を危うくするという事は、皆ここから起こるのである。」
そこで自ら誓って言った。
「私がもしもここから逃れる事ができたならば、修行者のところへ赴いて出家の法を受けよう。」

 なんとか宮廷を出てから山に入って或る仏塔に詣でて、そこで出家受戒した.九十日の内に経(教説)・律(戒律)・論(注釈)の三蔵をすべて読誦し終えた。更に異なった別の経典を求めたが、そこでは得られなかった。遂に雪山(ヒマラヤ)に入った。ある山の中の仏塔の内に一人の老いた修行僧がいて、大乗の経典を彼に与えた。ナーガールジュナはそれを誦えて教えを受け、愛楽してその真実の意義を知ったが、まだ究極の奥義に通達することができなかった。そこで諸国を周遊して、更に他の諸々の経典を求めてインド全土で遍くまだ得られなかったものを求めた。外道の論師や沙門の立てている教義をすべて悉く論破し平伏させた。
 ある外道の弟子は、ナーガールジュナに言った。
「師はすべてのことを知っている人であるのに、今仏弟子となっている。弟子の道というものは、自分に足りないところを諮り受ける事である。あなたは或はまだ足りないのであろうか。もしも一つのことでも未だ足りないのであるならば、あたなはすべてを知っている人ではないのだ。」
ナーガールジュナは返事の言葉に窮し、心に屈辱を感じたので、そこで誤った慢心を起こして、自ら心の内に思った。
「世界中で説かれているいろいろな教えは甚だ多い。その中で仏の経典は絶妙で優れてはいるけれども理をもってこれを推し量ってみると、未だ理を尽くしていないものがある。その理を尽くしていないものについては、推し量ってこれを演べ、それによって後学の人々を悟りに導き、理に違わないように、また事柄について過失のないようにさせよう。このようなことをするのに何の咎があるだろうか。」
そう思って直ちにそれを実行して、本来は師から授けられる事になっている教えと戒律を自ら立てて、更に独自の法服を創り、その自ら立てた教えと戒律による仏法に人々を従属させたが、そこには僅かに本来の教えと差異があるようにした。そうして「人々の心の迷いを除き、まだ戒律を受けていない人々に戒律の実践を示そう。日を選び時を選んで戒律を授けよう。」
と言って、弟子に新しい戒律を授け新しい衣を着させた。自らは独り静かな水晶の房室に居た。

 師である大龍菩薩は、ナーガールジュナがこのように思い上がっているのを見て、惜しんで愍れみ、直ちに彼を引き連れて海に入って、宮殿の中で七宝でできた蔵を開き、七宝でできた華函を開いて、諸々の大乗方等経典、深奥なる経典、無量の妙法を授けた。ナーガールジュナはそれを受けて、読むこと九十日のうちに、意義を通じ解することが甚だ多かった。彼の心は経典の教えのうちに深く入り、真実の理を体得し、真実の利益を被った。
 大龍菩薩はナーガールジュナの心を知って、彼に問うた。
「すべての経を黙読し終えましたか。或はまだですか。」
ナーガールジュナは答えた。
「あなたの諸々の函の中に納めてある経典の数は多くて無量であるから、とても読み尽くすことはできません。ここで私の読むべきものは、既にインドにあるものの十倍もあります。」
大龍菩薩が言った。
「我が龍宮の中にあるあらゆる経典は、諸処あちこちにこのようにあって、最早数えることができない程です。」
ナーガールジュナはやがて諸経の一箱を得て、深く空の義の悟りを完全に達成した。そこで大龍菩薩は彼を南インドに送り還した。(続く)

 

あと半分あるんです。読んでください。明日…。

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