お経を読むということの意味

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ネパール・カトマンズにあるボダナート仏塔

ネパールに行った時のことを思い出します。カトマンズにあるボダナートに描かれた仏眼、口はありません。なぜ口がないのかというと、ブッダはその教えを既に私たちに伝え残したからだそうです。どのようにして私たちに伝え残されたのでしょうか。それは経典という形、即ち一般に言われる「お経」という形で私たちに伝えられたそうです。

ブッダはお経の中で私たちに教えを説いています。私たちはそれを「お経を読む」と言っていますが、お経を読んでいるつもりでも、実はブッダは私たちの口を使って教えを説いているのです。

ですから「お経を読む」ということの意味は、ブッダが、私たちがお経を読むたびに私たちの口を使って教えを説いているのです。

だとしたら私たちはお経の意味をもっと知りたくなりますね。でも今のように漢字の音読みを重ねていくだけではさっぱり意味がわかりません。漢文のお経を訓読みして書き下す「訓読(くんどく)」というのもありますが、それでも意味がわからないことが多いですね。

だから仏弟子であるお坊さんは、ブッダと私たちの間の通訳です。お経の意味を平易な言葉で説明してくれるのがお坊さんです。

「そうか、そうだったのか」と意味が分かった時、朗々と漢字の音読みを重ねて読経するのもいいですね。ブッダの教えに触れ合うことのできた喜びが感じられます。

お経がある限り、そして私たちがそれを読む限り、ブッダの命は永遠です。

 

それではジャズピアノをどうぞ。

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