人権についてー男女平等(Human Rights)

 「人権」とは明治初期に生まれた、Human Rightsという西洋語の訳語である。元々日本にはなかった言葉である。それではなぜ人権という言葉がそれまで日本に存在しなかったのか。その理由は、日本文化の根底は仏教思想であり、そこでは人は衆生という大きな言葉で括られている範疇に属し、人が人らしく生きて行くことのできる権利と、人以外の生物がそれらしく生きて行くことのできる権利に差がなかったのである。それは今風に言うところの絶対無条件の平等の下という意味ではなく、それぞれその存在によって違いがあり、お互いの違いを尊重しつつ成り立つ平等の下で、それらしく生きて行くことのできる権利に差がなかったのである。よって仏教の平等思想においては人権というよりも衆生権とでも呼ぶべきであろうか。しかしながらここでいう人権とは社会的人権の意味であり、人間社会の範疇で人権について考えてみようと試みるのがこの文章の意図するところである。
 ある夜、テレビでパキスタン出身のMalalaという少女についてのドキュメンタリー番組を目にした。彼女は現在既に世界的な有名人となったので、ここで敢えて彼女についての詳細な説明は不要と思う。よって概略だけ述べる。要するにパキスタンという国において女児・女性に対しても男児・男性と同じような教育機会を与えるべきだという主張を、インターネットを通じて世界に向かってしていたら、タリバンというイスラム原理主義者のグループに頭を銃で撃たれてしまった。なんとか一命をとりとめ、現在イギリスに在住、自らの経験をもとにしてより一層教育の機会均等を訴えている十代の女性である。将来はパキスタンに戻り、政治家となりその夢を実現させたいのだそうだ。その主張は国連の場でも大きく取り上げられ、世界中の同じような若しくはそれに類するような状況下の女性に多大なる影響を与え、彼らの活動を精神的に鼓舞するものである。
 男女教育機会均等など当然のような顔をしてこの女性にエールを送る私たち日本人も、よく過去を思い出して胸に手を当てて考えてみればあまり大きなことは言えない。実際私が中学生だった頃、学校で一番成績の良かったある女性は、この地元において一番優秀だと言われる高校には進学せず、地元において女性が行くべきと思われている一番優秀な女子校に進学し、大学にもいかず地元の優良企業に事務員として就職した。後から聞いた話だが、それは彼女の母親の勧めによるものだったということである。「女の子は男の子のようにそんなに学業に専念する必要はなく、よって大学にも行く必要がない。地元で優良企業に就職し誰か良い人と結婚して子をもうけるのが女として幸せな生き方である。」今聞けばとんでもなく女性の人権を貶めるような言葉であるが、40〜50年前の日本なら当たり前の親の言葉である。日本もかつてはかなり男女の教育機会均等について程度が低い国だったのである。私の出身高校の男女の割合は、私が通っていた当時は女性が12.5%であったのに、現在では50%を超える程になっているという。しかしながらその12.5%の女生徒たちは当時でも頭を銃で打ち抜かれるという心配は全くなかったが…。
 人権の問題を男女の平等という観点で考えてみよう。仏法の諸行無常(すべてのものは常に移り変わる)という真理によると、男女の権利の平等という概念も時とともに移り変わって行くのである。男女の社会的権利は現在平等である。しかしその平等という言葉を、絶対無条件の平等というふうに考えると実際の現実的社会活動においていろいろな問題が起きる。飽く迄男と女の違いというものを明確に認識し、互いに長所や短所を持つその違いを尊重しつつ真の平等が実現する。男性の中にも女性の中にも個々によって違いがある。中には男性の持つ特徴を多く持ち合わせる女性もいるし、逆もまたいる。よって今後の世の中では益々性別による差別はなくなり、今度は個々の持つ能力の差異を(それは勿論長所と短所を持ち合わせているが)お互いに理解し尊重し合って成り立つ社会が具現する日が近いであろう。いや既にそうなっている社会も現実には存在する。また先出のMalala女史の出身地のような、それに程遠い社会も存在する。世界中が同水準に達するには未だ時間が必要であるし、永遠にそうはならないかもしれないが現在大きな視点で見れば良い方向へ向かっているのは確かなようだ。
 常に互いに相違を理解し、尊重する態度、姿勢こそが男女の社会的人権平等を実現する近道であるし、それが釈迦牟尼が私たちに指し示してくれた仏道を歩む一つの目的でもあるのだ。
「みんな違って同じだね」(法華経方便品)

 

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