量子論と仏法(2)

量子論の本の読み返しを終えました。やはり難解で正確に理解できたかどうかは甚だ疑問ですが、それでも「量子論を利用できる人はたくさんいるが、量子論を理解している人は1人もいないだろう」とその本の中に書かれていたので、理解できないのは私だけではないのかと一先ず安心しています。そういう事なら大いに利用しようと思います。

 

また「量子論によってショックを受けない人は、量子論をわかっていない人だ」とも書いてありましたので、一応ショックを受けたと思われる私は、その片鱗を少しでもわかったのかなという、希望的観測をもつ事にしました。

 

本の一字一文を離れ全体を見渡すと、やはり量子論はブッダの説かれた縁起説を裏付けているという他ないのではないでしょうか。

 

我々だって量子の塊なのだから、お互い相関わり合って成立しているものであり、独立自存のものはないという事なのですね。よって読後は爽やかな気分になり、心が大宇宙に放たれたような自由の快感を感じます。

 

結局皆繋がっているんですね。人と人ばかりでなく、人と宇宙万物と繋がっているんですね。

 

気持ちを研ぎ澄まして真剣に…願いは叶う…ですね。

 

そこには祈りの意義が見出せます。道元禅師の「祈祷」に込めた意味も理解できます。最初は、「只管打坐」の座禅によって悟りに至ろうとする禅師がどうして祈りに重きを置くかと疑問でしたが…。

ブッダはきっと量子論をご存知だったのですね。

 

ではジャズピアノをどうぞ。

www.youtube.com

量子論と仏法(1)

量子論のことを少し書いたら反応があったので、知識をリフレッシュしようと量子論について再度調べて見ました。佐藤勝彦さんという東大大学院の教授が著した「『量子論』を楽しむ本」(2012年)という、かつて読んだけれど殆ど内容を忘れてしまった本を読み返しています。こういう本はお経と一緒で、読む度に新たな発見があってとても興味深いですね。

かのダライ・ラマ14世も「15年から20年くらい前、ある会議でインド人物理学者のラジャ・ラマナ博士が、ナーガールジュナ(龍樹)の仏教思想と量子論との一致があまりにも多いことに驚きを禁じえ得ないと話してくれました。(インドの)プレジデンシー大学の副総長が以前、量子力学によれば客観的に存在するものは何もないことになると教えてくれましたが、これは(大乗仏教の)瑜伽行派(ゆがぎょうは)と中観派の見解との一致を思わせるもので、特に物事は説明の仕方によってのみ存在するというナーガールジュナの仏教思想と同じものなのです」と語っています。

そんな事を前知識に入れながら読み返していると、既にその序章で早速ダライ・ラマさんの言ったことになるほどと思ってしまいました。著者の佐藤教授はなかなかのユーモアのセンスをを持ち合わせておられるようで、イントロダクションにおいて「天才科学者二人と猫による『量子論超特急』」と題して、20世紀を代表する物理学者のニールス・ボーア博士とかの有名なアインシュタイン博士に対談をさせて、読者に量子論と言うものの大まかな理解を促しています。しかもその司会者は、シュレーディンガーの猫という設定です。

(「シュレーディンガーの猫」について説明すると大変な困難を要するので、各自インターネット等でお調べください。)

二人の対談は、光が粒なのか波なのかから始まり(物質の原子核の周りを回っている)電子に及びます。電子が粒なのか波なのか。波なのだという点で二人の意見は一致しているのですが…。

ボーア博士が言います。
「誰も電子の波を見た人はいないのです。見たことのないもの、実験しても観測できないものについてそれ以上詮索しても、意味がないのです。そしてシュレーディンガー君が作った方程式さえあれば、電子に関するどんな実験も、結果を見事に予測できるので、それで実用上は何の問題もないし、究極的には「観測していないときにしか現れない電子の波は、私たちにとって存在しないのと同じだ」と言って良いのです。」

えっ?これって何となくナーガールジュナさんの発言っぽくないですか?

するとアインシュタイン博士が言い返します。
「いや、それは違うと、私は昔から言い続けてきたんだ。我々が見ていようがいまいが、そこにあるものは「ある」に決まっておる。電子の波だって絶対にあるんだ。それをないと考える?我々が見たとたんに波が消える?そんな都合のいい理屈があってたまるか!」

あれま!これって部派仏教の説一切有部のお坊さんが言ってるみたい…。

さらにアインシュタイン博士は…
「自然はもっと理路整然とした、美しく確定的なものになっているに決まっている!そして神はサイコロ遊びのようないい加減な真理を作ったりはしないのだ!」

これは執着心では…?

そしてボーア博士が言います。
「私は、量子論が描く「あいまいな自然」こそが、自然の究極の姿であると思っています。」

曖昧と言うか一切空と言うか…。

序章でこれですから、ますます読み返すのが面白くなってきました。ダライ・ラマさんは流石ですね。続きは次回に。

 

Over The Rainbowです。

www.youtube.com

笑う門には福来たる

 「笑う門には福来たる」。「病気」は「気の病い」と書きます。つまらないことで悩んでいるよりも笑って人生送れば自然と福も来るし、病いにも掛かりにくくなるのではないでしょうか。

 かくいう私も「極楽とんぼ」というあだ名のつくくらい生来楽観的な性格で、「人生そんな甘いもんじゃない」等よくお叱りも受けますが、やはり人生楽しいほうがいいに決まってます。

 こんな話を聞きました。あるご夫婦が東北地方の旅館に泊まった時、夜外出しようとすると、そこの番頭さんが「じいさん、ばあさん、いってらっしゃい」と言って送ってくれたそうです。ご主人さんは「じいさん、ばあさん」はないだろう、と思いましたがまあ胸にしまって外出しました。旅館に帰ると同じ番頭さんがまたしても「じいさん、ばあさん、おかえんなさい」と言って迎えたそうです。多少お酒も入っていたので、今度はご主人さん、「あのね番頭さん、いくらなんでもじいさん、ばあさん、はないだろう」と言うと、番頭さんは首を振って「そんなこと私言ってません。お客さんのお部屋が十三号室だから『十三番さん、おかえりなさい』と言っただけです・・」東北の訛りで「十三番さん」が「じいさん、ばあさん」に聞こえただけ。ご夫婦の奥さん、しばらく笑いが止まらなかったそうです。

 敵は己の内にありと言います。

 最近は中東やヨーロッパで起きるテロのニュースが多いですね。異教徒は敵、自分と同じものを信奉しない者は敵と、恰も信仰を利用して言い訳にしていますが、他人を殺していいなんていう宗教はこの世に存在しません。宗教を使って敵を作る言い訳にしているに過ぎません。

 「敵」といえば、皆さんには敵がいますか?いるとすればそれはどこにいるのでしょう。

 仏法では、敵というのは他のどこにも存在しません。他の誰でもありません。「敵は己(おのれ)の内にあり」といって、自分自身が最大の敵であると教えます。
 言われてみればその通りですね。仏陀は、自分自身に打ち勝つことが真の勇者であり、勝者であると言っています。他人を傷つけたり殺したりする人々は、勇敢でも何でもなくただ野蛮なだけなのです。   

 仏陀には提婆達多(ダイバダッタ)という従兄弟がおりました。ともに育ち常にライバルの関係にありました。とても優秀なのにどうしてもかなわない仏陀に提婆達多は嫉妬し、生涯に三度仏陀を殺そうとまでしました。ですから提婆達多という名前は仏教では悪人・敵の代名詞のようなものであります。その敵・悪人の提婆達多を仏陀はどのように見ていたかというと、法華経の第十二章「提婆達多品」の中で、「提婆達多は私の先生、善知識である」とおっしゃっています。提婆達多がいたからこそ自らが成長できたのである、と言うのです。

 何かにつけて誰か他の人のせい、どこか他に責任を転嫁しようとする今の世の中です。それはやはり勇敢に自らに打ち勝とうとしない、弱い逃げる姿勢から起きてくる心持ちに違いありません。自らに打ち勝ってこそ真の勝者であり、他人を傷つけたり殺めたりするのは本当は弱い者のすることです。

 これからの人生貪りの心、怒りの心、無知の心に負けそうになった時、心静かに自省し自らに打ち勝ってこそ必ず道は開けます。それこそが仏教徒の生きる根本姿勢でありましょう。共に己に打ち勝ち、幸せな人生を歩みましょう。

 

今日は何か、説法じみてしまいました…。

www.youtube.com

本来の教えから逆行する日本仏教

 仏教本来の教えとは、物事に執着しない、こだわらないことです。そういう何事にもとらわれない、動じない精神状態の最高峰が、お釈迦様の悟りということになります。難しい言葉でいうと「一切空」の教えであります。

 ところが仏典がインドの言葉から中国語に翻訳され日本に伝えられる過程で、中国の土俗信仰と習合し、また日本の土俗信仰と習合し、その様相は本来のものから随分変わってしまいました。本筋の、物事に執着しないという基本的な「一切空」の教えは、民衆救済のためその表現方法が「方便」として様々に転換され、やもするとそれを説く僧侶もその方便に埋もれてしまいがちになりました。僧侶がそれですから一般の人々は言うまでもありません。従って、本来は「物事に執着しない」教えだったのに、いろいろなことにこだわる、執着に満ち溢れた宗教になってしまったのが日本仏教であります。

 それでも鎌倉時代のお坊さんたち、即ち現在の殆どの宗派のお祖師様方は立派だったと思います。当時はまだ今のように仏教が世俗化していなかったのだと思います。禅宗の祖の栄西禅師や道元禅師、念仏系の法然上人や親鸞上人、そして日蓮宗の祖、日蓮聖人はやはりその根本の教えから離れることがなかった、現代の僧侶のように生活のために教えを崩すことがありませんでした。現代では特に仏教が形骸化し「葬式仏教」などと呼ばれ世の中から批判されています。勿論仏教界内部にも大いに反省がありますが、長い間に積み重ねられた既成事実を変革することはなかなか難しいというのが実情であります。

 そういう私もその現代仏教界の僧侶の一人であり、この大いなるジレンマの真っ只中で如何に本来の教えを世の中に説いていくか、どうやってそれを始めたらいいのか、日々自問自答しながら悩んでおります。

 かの司馬遼太郎さんが「春灯雑記」という著書の中で、日本仏教は十三世紀(鎌倉時代)から発達しておらず、それは仏教界の怠惰によるものである旨書かれておりますが、まったくもって、恥ずかしながらその通りだと思います。一つの例を挙げるならば、読経、つまりお経を読むというスタイルについてもそれが如実に現れています。仏教が日本に伝来してから江戸時代くらいまではそれで良かったのかもしれませんが、未だに中国語の音読をしています。勿論現代人はその意味が汲み取れません。それどころか僧侶の中でも、その響きが神秘的でよいのだ、意味など理解する必要は無いなどという輩も少なくありません。ですから私は英語圏で布教活動をしているとき、なるべくお経を英語で読むように心掛けました。日本に帰って来てからはなるべく訓読といって漢文の書き下し文でお経を読むよう心掛けています。最近美しい日本語で書かれた「和訳法華経」という日本語の法華経訳のを見つけました。古文調ですが美しい訳です。現在それをどうやって実際に布教に役立てることができるか研究中です。

 話は少しく横道にそれましたが、本題に戻ります。

 このように仏教界ですら長い間によって積み重ねられた既成事実を伝統と呼び、それに執着して変革・改革を嫌います。仏教界の大きな問題は置いておいて、私共の日常の信仰生活においても多くの執着、つまりこだわりや迷信が多くみられます。またそれが伝統になってしまっていることもあります。「お上人さん、法事の時にお焼香は一回ですか、三回ですか」とよく聞かれます。禅宗系の方は二回だという人もいます。結論から言えば何回でもいいのです。一回だけしたければ一回でもいいし、十回したければそれもよし、実は何の決まりも無いのです。それをあたかも重要なことのように後から意義付けして慣習・伝統にしてしまうのです。

 そうは言ってもこれらの多くの慣習・伝統に「執着」している現実を、只批判ばかりしていても何も得るものはありません。問題はそれを如何に皆で理解し修正していくかです。

 お釈迦様の基本的な教えに「八正道(はっしょうどう)」というのがあります。八つのことを正しくやりなさいという教えですが、何が「正しい」のかということに深く疑問を持ちました。いろいろ勉強してみると、どうやらお釈迦様がこの世にいらした時代も、バラモン教やその他の思想・宗教が満ち溢れていた時代であったので、多くの迷信や誤解が人々の生活を脅かしていたようです。そんな迷信や誤解を恐れず、執着から離れ、あるがままにやりなさいというのがお釈迦様の「正しく」の本意であられたようです。お釈迦様が入滅されて約二千五百年、末法と呼ばれる現代に於いてまさに今多くの執着や迷信・誤解・妄信を離れ、物事を「正しく」理解し行動していくことが重要な時代なのかもしれません。また折につけて共に学びましょう。

 

心に響く一曲をどうぞ。

www.youtube.com

お経を読むということの意味

f:id:Chohakkai:20190327210328p:plain

ネパール・カトマンズにあるボダナート仏塔

ネパールに行った時のことを思い出します。カトマンズにあるボダナートに描かれた仏眼、口はありません。なぜ口がないのかというと、ブッダはその教えを既に私たちに伝え残したからだそうです。どのようにして私たちに伝え残されたのでしょうか。それは経典という形、即ち一般に言われる「お経」という形で私たちに伝えられたそうです。

ブッダはお経の中で私たちに教えを説いています。私たちはそれを「お経を読む」と言っていますが、お経を読んでいるつもりでも、実はブッダは私たちの口を使って教えを説いているのです。

ですから「お経を読む」ということの意味は、ブッダが、私たちがお経を読むたびに私たちの口を使って教えを説いているのです。

だとしたら私たちはお経の意味をもっと知りたくなりますね。でも今のように漢字の音読みを重ねていくだけではさっぱり意味がわかりません。漢文のお経を訓読みして書き下す「訓読(くんどく)」というのもありますが、それでも意味がわからないことが多いですね。

だから仏弟子であるお坊さんは、ブッダと私たちの間の通訳です。お経の意味を平易な言葉で説明してくれるのがお坊さんです。

「そうか、そうだったのか」と意味が分かった時、朗々と漢字の音読みを重ねて読経するのもいいですね。ブッダの教えに触れ合うことのできた喜びが感じられます。

お経がある限り、そして私たちがそれを読む限り、ブッダの命は永遠です。

 

それではジャズピアノをどうぞ。

www.youtube.com

ナーガールジュナについて(その2)

龍樹菩薩伝2

 大龍菩薩の導きにより空の義を悟ったナーガールジュナは、南インドに送り返された後、そこで大いに仏教を弘めて外道を論破し、広く大乗の教えを明らかにして、その教えを説明する十万の詩句をつくり、また「荘厳仏道論」の五千の詩句、「大慈方便論」の五千の詩句、「中論」の五百の詩句をつくり、大乗の教えが大いにインドに弘まり行われるようにした。また「無畏論」の十万の詩句をつくったが、「中論」はその中に出ている。

 時に、よく呪術を知るバラモンがいた。その得意とするところによってナーガールジュナと争って勝利を博そうと欲して、インドの国王に告げて言った。
「私はこの修行僧(ナーガールジュナ)を伏すことができます。王様はそれを験してご覧なさい。」王は言った。
「汝は大いに愚か者だ。このナーガールジュナ菩薩は、聡明さでは日月と光を争い、智慧については聖者の心と並び照らす程であるのに、汝はどうして不遜にして、彼を崇敬しようとしないのか。」
そのバラモンは言った。
「王様は智者であるのに、どうして理をもってこのことを験そうとなさらないのですか。どうして彼が抑えられ挫かれるのを見たいと思わないのですか。」
王はそのバラモンの言うことがもっともであると思い、ナーガールジュナに請うて言った。
「明日の朝、あなたと一緒に政庁の宮殿の上に坐しましょう。」
彼のバラモンは後でやって来て、宮殿の前で呪術をなして、中に千の葉のある蓮華がある、大きく広い清浄な池を現し出して、自らその蓮華の葉の上に坐して、誇らしげにナーガールジュナに対して言った。「おまえは地に坐し、畜生と異ならない。それなのに、清らかな蓮華の上にいる大いなる徳と智慧をもつ私に抗してものを言い議論しようとするのだな。」
 するとナーガールジュナもまた、呪術をもって牙が六本ある白い象を、神通力をもってつくり出し、その象に乗って池の水の上を歩いて行って、そのバラモンの坐している蓮華の座に赴き象の鼻でバラモンを絞め上げ、高く挙げて、池の中に投げ打ったところが、バラモンは腰を傷付けてしまった。バラモンは従い額づいて、ナーガールジュナに敬礼して言った。
「私は、自ら身の程を知らないで、偉大な師であるあなたを侮辱しました。どうか、私を哀れんで、愚かな私を啓発してください。」

 また南インドのサータヴァーハナ王朝の王は諸国をすべて支配していたが、邪な宗教を信じて、仏道の修行僧は、その国で一人も見られなくなっていた。周辺の国々の人々も、皆その邪な宗教を信じさせられていた。そこでナーガールジュナは、心の内に思った。
「樹は根本を伐らなければ、枝が傾くことはない。それと同じで国王を導かなければ正しい道は行われない。」
その国では、王家が金を出して人を雇って王家の護衛をさせていた。そこでナーガールジュナは募兵に応じて、その国の護衛隊に入隊し、めきめきとその頭角を現し遂に護衛隊の将軍となり、戟をとばし隊列の前を駆け、隊の行列を整え、信頼を得、兵士の隊伍を整えた。ナーガールジュナは決して強者には見えなかったが、兵士に対してはその明晰な頭脳による明確な命令が下され、その目的がはっきりとしていたので人々は彼に従った。王は非常にこれを喜んで、
「この立派な将軍は誰であるか。」と問うた。侍者は答えて言った。
「この人は徴募に応じてやって来たのですが、上からの給米を食せず、金を受け取りません。しかしながら事が起こると、その問題を迅速に解決処理し、規律も正しく常に兵士の範となるよう行動するので、兵士達が彼の命令に従順に従いその行動を見習っているのです。でも彼が心の中で本当は何を求め何を欲しているのか、私にはわかりません。」
王はナーガールジュナを呼び出して問うた。
「お前は何者であるか。」
ナーガールジュナは答えた。
「私はすべてを知っている者、即ち一切智者であります。」
王は大いに驚いて、彼に問うた。
「一切智者即ち全智者というのは大宇宙に只一人いるだけである。然るにお前は自分がそれであると言う。どのようにしてそれを確かめてみようか。」
ナーガールジュナは答えて言った。
「私に本当に智があるかどうかを確かめたければ、私が如何にそれを説明できるかお確かめください。王様、どうぞ何なりとご質問ください。」
王は自らの心の中で思った。
「仮に私が知識ある大論説家となって、彼に質問して屈服させたとしても、私にとってはそれで名を高めるには足りない。またもしも彼に及ばないならば、それは唯事ではない。しかし、もしも私が彼に問わないならば、これはまた一つの屈服をした事になる。」
王は暫くの間ぐずぐずしてためらっていたが、やむを得ないので、ナーガールジュナに問うた。
「天の神々は今、何をしようとしているのか。」
ナーガールジュナは答えて言った。
「天の神々は今阿修羅と戦っています。」
王はこの言葉を聞いて、ナーガールジュナの言葉を否定しようと思っても、それを証明する事ができないし、またそれを肯定しようと思っても、はっきりと明らかに理解する事ができなかった。それは例えば、人が何か喉に詰まって、もう吐く事もできないし、また呑み込む事もできないようなものであった。
 王が当惑してまだ言葉を発しないうちに、ナーガールジュナはまた言った。
「これは王様か私のどちらが勝利を得るのかという、勝ち負けを決するための議論ではありません。王様は暫く待っておいでください。間もなく自ずから証拠が現れるでしょう。」
 ナーガールジュナがそう言い終わったところが、空中に、矛、盾などの武器が現れ、絡み合って落ちて来た。王が言った。
「今天から落ちて来た矛や盾は戦うための武器であるが、しかし、どうして神々と阿修羅が戦っているのだということを、お前は知っていたのか。」
ナーガールジュナが言った。
「王様は私がそれを確かな証拠もなく、ただそう言っているとお考えになっていますね。ところがそれには証拠があるのです。それをご覧になる方がよいでしょう。」
 彼が言い終わるや否や、阿修羅の手、足、指、及びその耳、鼻が空中から落ちて来た。そこでナーガールジュナは、そこにいる王、臣下、民衆、バラモン達に、空中を清らかに掃除して、神々と阿修羅との両軍陣が相対しているのを見させた。それを見た王は敬礼して、ナーガールジュナの導きに従った。宮殿の中には一万人のバラモンがいたが、皆束髪を切り捨てて、仏道の完全なる戒律を受けた。

 このようにしてナーガールジュナはその国に仏法を弘め、人々の幸福に寄与した。ナーガールジュナが年の瀬を重ねた頃、一人の小乗の法師がいて、ナーガールジュナに対して常に嫉妬と怒りを抱いていた。ナーガールジュナはこの世を去ろうとする時に、彼に問うて言った。
「あなたは、私がこの世に永く生きながらえていることを願っておられますか。」
その小乗の法師は答えて言った。
「実はあなたの長生きを願っていないのです。」
 そこでナーガールジュナは静かな庵室に入り、幾日経っても出て来なかったので、彼の弟子が戸を破って中を見たところが、彼は遂に蝉のもぬけの殻のようになって死んでいた。
 ナーガールジュナがこの世を去ってから今に至るまで百年を経ている。南インドの諸国は、彼のために廟を建て、敬い仕えていることは、仏陀に対するがごとくである。
 彼の母がアルジュナという名の樹の下で彼を生んだから、その縁によってアルジュナという語をもって名付けた。アルジュナというのは樹の名である。龍が彼の仏道を完成させたのであるから、龍(ナーガ)という語をもって名付けた。そこで彼の名を「ナーガールジュナ」(龍樹)というのである。

 

 ということで、以上が鳩摩羅什の龍樹菩薩伝の概要です。心からナーガールジュナを敬います。

www.youtube.com

ナーガールジュナについて(その1)

 その昔、2世紀ごろ南インドに生まれたナーガールジュナという人がおりました。この人の名は4〜5世紀に中国で訳経にあたったクマラジーヴァ(鳩摩羅什=くまらじゅう)という(現在でいうウイグル人ですが)人が漢訳して主に東アジアでは龍樹(りゅうじゅ)と呼ばれるようになりました。ナーガールジュナは最初部派仏教の僧でありましたが、その後大乗の仏教僧となりました。釈迦牟尼仏陀の縁起の教えから大乗の空の義を確立、「中論」をはじめとした多くの論書を著し日本でも八宗の祖と崇められました。ということは私たちが信仰する大乗仏教にとってとても重要な人物であるということですね。もっと龍樹について知っておくべきではないでしょうか。クマラジーヴァの龍樹菩薩伝の要約を下記に…長いので2回に分けて掲載しました。

(龍樹菩薩伝-1)

 ナーガールジュナ(龍樹菩薩)は、南インドのバラモンのカーストの出身であった。天性聡明で、不思議にものわかりがよく一度聞いたらなんでもすぐ理解した。まだ乳を飲み、食物を口に入れてもらっているような幼い時期に、バラモン達が四つのヴェーダ聖典、それはそれぞれの聖典に四万の詩句があり、一つの詩句は三十二の音節より成るのであるが、それを誦しているのを聞いて、その文章を諷吟して意義を理解したと言われている。弱冠にして世に名を馳せ、諸国に独り歩み、その学識は他の追随を許さなかった。天文、地理、未来の予言、及びもろもろの道術など、すべて体得しないものはなかった。

 彼には契りを結んだ親友が三人いたが、彼らもまたその当時傑出した秀才であった。彼らは互いに相談した。
「天下の事柄で、心を啓蒙し奥深い道理(幽旨)を悟るべき程のものについては、我らはすべてこれを究め尽くした。今後は何によって自ら娯しむことにしようか。情を馳せ欲を極める事は最も一生の楽しみである。然るに我々バラモンや修行者達は、王侯ではなく快楽を極めるだけの経済力がないから、何によって快楽を達成する事ができるであろうか。ただ隠身の術というものがある。これによってこそ快楽を達成する事ができるであろう。」
 四人は互いに相手を見つめたが、誰も反対する人がいなかった。そこで共に隠身の術を心得ている大家の所へ行って、隠身の法を教えてくださいと頼んだ。隠身術の教師は心の中で思った。
「この四人のバラモンは名を一世にほしいままにして、他の人々を草や塵芥のように見做している。しかし今はこの隠身術を得たいために恥を忍んで我について学ぼうとしている。このバラモン達は絶世の秀才であるが、彼らが知らないのはただこの隠身の術という賤しい法だけである。もしも我が彼らにこの術を授け、彼らがそれを得たならば、必ず我を捨てて、最早我に屈するという事はあり得ない。先ず暫く彼らに薬を与えて用いさせ、術を知らせないならば、薬が尽きた時、必ず我の所に来て、長く我を師とするであろう。」
そこでめいめいのバラモンに青薬を一丸だけ与えて、彼らに告げた。
「汝らは静かな処でそれを砕いて水で溶かして、それを瞼に塗ったならば、汝らの身体は隠れてしまって、それを見ることができる人はいないであろう。」
 ナーガールジュナはこの薬を砕いていた時に、その香気を嗅いで直ちに皆これが何であるかを識って、分量の多少、極僅かな少しの重さについても誤ることがなかった。薬を教えてくれた師のもとに帰って告げて言った。
「先にあなたからいただいた薬は七十種のものが混じっています。」
と、その分量の多少をあてて言ったが、すべて師の処方の通りであった。薬を与えた師は問うて言った。
「汝はどうしてその事を知ったのか。」
ナーガールジュナは答えた。
「薬にはそれぞれ香気があります。どうして知られない事がありましょうか。」
師はそこで感服して言った。
「このように優れた人のことは、聞くのさえも難しい。まして相い遇うというのは尚更である。こういう秀才に会ったのだから我の賤しい術は、どうして惜しむに足るだろうか。」そこで彼に術をすべて詳しく授けてしまった。

 四人は、仙術を体得してから、勝手気侭な事をして、自由に王宮に入って宮中の美人を皆犯してしまった。百余日たってから、後宮の女官で懐妊する者がでた。彼女達は心に恥じ、恐れながら、このことを王に申し上げ、罪を処罰しないでくださいと願った。ところが王は甚だ不機嫌で、「どうしてこんな不吉な怪しげなことがあるのだ」と言った。その時ある古老の家臣が言った。
「およそこのような事が起こるについては、次の二通りのうちのどちらかであろう。鬼魅が取り憑いたのか、或は誰かが仙術を行っているのであろう。細かな砂をすべての門の中に撒き、門番に注視させて行く者すべてが誰であるかを調べさせよう。もしも入って来る者が仙術を嗜む者であるならば、その足跡が自ずから現れるであろうから、兵士をつかって退治すればよい。しかし、もしも鬼魅が入ってくるのであれば足跡を残す事がないから、呪法の術でもってそれを退治すればよい。」
 そこで門番に命令して周到にその方法を試みてみたところが、四人の足跡を見つけたので大急ぎで王の所へ赴いて、その旨を奏聞した。王は強者の兵数百人を引き連れて宮廷に入り、すべての門を悉く閉じて、怪しげな者が外に出られないようにして、強者の兵士に刀を振るって虚空を斬らせてみた。そこで仙術を使った者どものうちで三人は直様死んだ。しかしナーガールジュナのみは、身を縮め呼気を抑えて王の側にいた。王の側七尺のうちには何人も入ってはならぬとされていたので、刀も及ばなかったのである。この時初めてナーガールジュナは悟った。
「欲は苦しみの本であり、諸々の禍の根である。徳を傷付け身を危うくするという事は、皆ここから起こるのである。」
そこで自ら誓って言った。
「私がもしもここから逃れる事ができたならば、修行者のところへ赴いて出家の法を受けよう。」

 なんとか宮廷を出てから山に入って或る仏塔に詣でて、そこで出家受戒した.九十日の内に経(教説)・律(戒律)・論(注釈)の三蔵をすべて読誦し終えた。更に異なった別の経典を求めたが、そこでは得られなかった。遂に雪山(ヒマラヤ)に入った。ある山の中の仏塔の内に一人の老いた修行僧がいて、大乗の経典を彼に与えた。ナーガールジュナはそれを誦えて教えを受け、愛楽してその真実の意義を知ったが、まだ究極の奥義に通達することができなかった。そこで諸国を周遊して、更に他の諸々の経典を求めてインド全土で遍くまだ得られなかったものを求めた。外道の論師や沙門の立てている教義をすべて悉く論破し平伏させた。
 ある外道の弟子は、ナーガールジュナに言った。
「師はすべてのことを知っている人であるのに、今仏弟子となっている。弟子の道というものは、自分に足りないところを諮り受ける事である。あなたは或はまだ足りないのであろうか。もしも一つのことでも未だ足りないのであるならば、あたなはすべてを知っている人ではないのだ。」
ナーガールジュナは返事の言葉に窮し、心に屈辱を感じたので、そこで誤った慢心を起こして、自ら心の内に思った。
「世界中で説かれているいろいろな教えは甚だ多い。その中で仏の経典は絶妙で優れてはいるけれども理をもってこれを推し量ってみると、未だ理を尽くしていないものがある。その理を尽くしていないものについては、推し量ってこれを演べ、それによって後学の人々を悟りに導き、理に違わないように、また事柄について過失のないようにさせよう。このようなことをするのに何の咎があるだろうか。」
そう思って直ちにそれを実行して、本来は師から授けられる事になっている教えと戒律を自ら立てて、更に独自の法服を創り、その自ら立てた教えと戒律による仏法に人々を従属させたが、そこには僅かに本来の教えと差異があるようにした。そうして「人々の心の迷いを除き、まだ戒律を受けていない人々に戒律の実践を示そう。日を選び時を選んで戒律を授けよう。」
と言って、弟子に新しい戒律を授け新しい衣を着させた。自らは独り静かな水晶の房室に居た。

 師である大龍菩薩は、ナーガールジュナがこのように思い上がっているのを見て、惜しんで愍れみ、直ちに彼を引き連れて海に入って、宮殿の中で七宝でできた蔵を開き、七宝でできた華函を開いて、諸々の大乗方等経典、深奥なる経典、無量の妙法を授けた。ナーガールジュナはそれを受けて、読むこと九十日のうちに、意義を通じ解することが甚だ多かった。彼の心は経典の教えのうちに深く入り、真実の理を体得し、真実の利益を被った。
 大龍菩薩はナーガールジュナの心を知って、彼に問うた。
「すべての経を黙読し終えましたか。或はまだですか。」
ナーガールジュナは答えた。
「あなたの諸々の函の中に納めてある経典の数は多くて無量であるから、とても読み尽くすことはできません。ここで私の読むべきものは、既にインドにあるものの十倍もあります。」
大龍菩薩が言った。
「我が龍宮の中にあるあらゆる経典は、諸処あちこちにこのようにあって、最早数えることができない程です。」
ナーガールジュナはやがて諸経の一箱を得て、深く空の義の悟りを完全に達成した。そこで大龍菩薩は彼を南インドに送り還した。(続く)

 

あと半分あるんです。読んでください。明日…。

www.youtube.com