量子論と仏法(2)

量子論の本の読み返しを終えました。やはり難解で正確に理解できたかどうかは甚だ疑問ですが、それでも「量子論を利用できる人はたくさんいるが、量子論を理解している人は1人もいないだろう」とその本の中に書かれていたので、理解できないのは私だけではないのかと一先ず安心しています。そういう事なら大いに利用しようと思います。

 

また「量子論によってショックを受けない人は、量子論をわかっていない人だ」とも書いてありましたので、一応ショックを受けたと思われる私は、その片鱗を少しでもわかったのかなという、希望的観測をもつ事にしました。

 

本の一字一文を離れ全体を見渡すと、やはり量子論はブッダの説かれた縁起説を裏付けているという他ないのではないでしょうか。

 

我々だって量子の塊なのだから、お互い相関わり合って成立しているものであり、独立自存のものはないという事なのですね。よって読後は爽やかな気分になり、心が大宇宙に放たれたような自由の快感を感じます。

 

結局皆繋がっているんですね。人と人ばかりでなく、人と宇宙万物と繋がっているんですね。

 

気持ちを研ぎ澄まして真剣に…願いは叶う…ですね。

 

そこには祈りの意義が見出せます。道元禅師の「祈祷」に込めた意味も理解できます。最初は、「只管打坐」の座禅によって悟りに至ろうとする禅師がどうして祈りに重きを置くかと疑問でしたが…。

ブッダはきっと量子論をご存知だったのですね。

 

ではジャズピアノをどうぞ。

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