元品の無明を切る大利剣

 仏法の真髄は永遠普遍の真理を理解し体得することであります。その永遠普遍の真理とは徹頭徹尾冷たいものであります。まるで鋭利な日本刀のようで、刃筋を立てて切ればスパッと切れますし、少しでもそれがずれようものなら何も切れません。要するにそこには原因と結果があるだけで、その真理にいくら逆らおうとしても何も変わらないということなのです。

 「元品(がんぽん)の無明(むみょう)を切る大利剣(だいりけん)」という肝文がありますが、「元品の無明」とは無知のこと、それを切る「大利剣』とは真理のことであります。

 その冷たく輝く鋭い刃の如く、真理は容赦なく日々私共に現実を突きつけて迫ります。そこには偶然や奇跡といったようなものは存在しません。それは私共が無知であるが故に、現段階で因果関係を説明できないことをそう呼んでいるにすぎません。すべてが因果律に帰着します。

 しかしまたその冷酷とも受け止められる真理を体得したとき、この上も無き心の自由自在を得、それが宇宙空間に拡散していくかの如く私共の心を満たすのです。その感覚といったら正に時間・空間から解き放たれた自由なのであります。妙法蓮華経という大乗仏教のお経の中に「風の、空中において一切障碍無きが如く…」という一節がありますが、正にその感覚かもしれません。そうなりますともう生きて行く上でのいろいろな苦労とか、日々年老いていくこととか、病に罹ることとか、そして死ぬことまでそれなりに穏やかに受け止めることができるようになります。そうすると何も怖いものはありませんから、心は貪りや愼り、無知を離れ平安になり、これが悟りの境地と呼ばれるものであるのではないかと思われます。

 

 

願わくは悟りの境地に到たい…。ジャズピアノでもどうぞ。

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