戒名(法名)について

 戒名(法名)とは元来仏門に入った人に授けられる出家者としての名前である。

 その起源は、仏法僧侶が葬儀を行うようなってからのことである。室町時代に寺領を持たない寺の僧が生活の糧として葬式を始め、いくらかの収入を得たのが現在の仏教寺院による葬式の起源である。初め一般人の葬式の仕方をどうしたよいか分からず、以前より寺院内で行われていた僧侶の葬式に合わせ、死亡した人を出家させ僧侶として葬った。よって死者に戒名を授けるようになったのである。

 現在でも棺の上に小刀が置かれるが、葬儀屋さんが知ったかぶりな顔で「冥土までの守り刀です」などと説明しているが、あれは実は剃髪、つまり出家するために髪を剃る剃刀なのである。それ以後直接仏法とは関係のない、屍体に対して読経するなどの屍体崇拝、遺骨崇拝、墓地崇拝、位牌崇拝(中国の道教の影響)、死後成仏等の迷信・妄信を日本仏教として取り入れてしまったのである。

 在家者が死後に寺院より戒名(法号)を授けられる風習は時とともに発展し、戒名にランクが生じ、現在ではその料金にも差がつけられることになってしまった。この風習も室町時代より現在までの長い間続いていれば、今更「本当はそんなことする必要はありません」なんてことを言おうものなら反社会主義者として扱われかねない。

 それでも敢えて正直に言おう。現代社会において一般の方々(在家者)に死後の戒名(法号)は必要ない。皆既に立派な名前を持っている。出家者は出家の決意を込めて戒名を授かって構わない。その代わりそれまでの名前を捨てなければならない。ただ現代の世の中において、本来の意味での出家が物心両面において可能かどうかは甚だ疑わしい。どうしても形式上の出家となることは仕方がないことだと思われる。死者に死後に戒名(法号)を授けるという慣習も、これだけ永きに亘って続けられると、それなりに意義を持ち始めその意義も発展する。よって必要ないとは言っても後戻りできない現状と実績がある。よって敢えて「現代社会において」と前置きした。これから将来この習慣を永年に亘って踏襲してきた日本仏教界においても真剣にこの問題と向き合わなければならない日はとっくに来ている筈である。

 また、海外において日本仏教各宗派の国際布教がなされているが、その任にあたる人々は日本仏教が生んだ特有の文化と、本来の伝えるべき仏法を明確に区別して、その土地土地に順応した形で布教を進めて行くことを肝に銘じるべきである。

 

ふ〜。ジャズピアノでも聞きましょう…。

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