現代インドにおける仏教(2)

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布施を受けるインド新仏教徒の僧侶達(龍宮寺において)

さて、前回は現代インドの仏教を語る上で欠かせない人物、アンベドカール氏について少しく書きました。氏は1956年10月、インド中央部のデカン高原に位置するナグプールに於いて50万人と云われる不可触賎民階級の人々と共にヒンドゥー教から仏教に改宗したのであります。アンベドカール氏は、「Buddha and His Dhamma」という本を著し、氏の仏教に対する理解と、改宗した人々に対しての仏教徒としての指針を与えました。本書で、氏は徹底的にゴータマ・ブッダの生涯を、何の矛盾や装飾的伝説も排除し解き明かし、仏教徒としてどう生きるべきかを考え抜いた氏の葛藤が随所に伺えます。日本語訳本も出版されています。

問題はこの後です。上記の本が出版されたのは1957年ですが、何とアンベードカル氏が持病の糖尿病を悪化させ集団改宗の約2ヶ月後、即ち1956年12月に亡くなってしまったのです。

よってインド新仏教徒の人々は、進むべき道を案内してくれる筈のリーダーを失ってしまいました。以後彼等は氏を恋慕し「ジャイ・ビーム」、つまり「アンベドカール万歳」と合掌して口にするようになったのです。

その後インドの新仏教徒は進むべき道を模索してスリランカやタイから僧侶を招き、宗教的指導者として仰いだり、外国から来た仏教僧侶のもとその活動を繋いで来ました。特に日本の真言宗僧侶であってインドに住み着いた佐々井秀嶺師は有名でありますが、仏法に反するような暴力的行動を扇動したことは非常に残念であり、以後インド新仏教徒による仏教復興運動は、カースト上位の人々からは「あれは不可触賎民の人権運動だよ」と一蹴されてしまうようなことにもなったのです。

インド政府は佐々井師のブッダガヤ奪還運動等による人民の扇動を無視できず、毒は吸収し暴れさせないためにも佐々井師を政府の少数派委員会の委員に任命します。

そのような紆余曲折がありながらもマハラシュトラ州ナグプールを中心とする新仏教復興運動の流れは脈々と繋がれていきました。現在その仏教徒の代表としてナグプール近郊のカンプティという小さな町の出身の弁護士でマハラシュトラ州水道衛生大臣も経験したスレーカ・クンバレという女性がいます。凡そ20年程前ある日本人の援助を受け、The Dragon Palace Temple、日本名で龍宮寺というお寺をカンプティに創建しました。その規模の大きさといったら日本の中規模都市の市民体育館ほどあります。日本の日蓮宗と強いパイプを持ち、現在はナグプール地区の観光の要所として、州政府の援護のもと発展途中です。寺院はメディテーションセンターやアンベドカール記念館、更に将来的にはホテル、遊園地、職業訓練施設等の建設が計画されています。

実は私は縁あってこの龍宮寺の建立に深く関わりました。ですからこのスレーカ・クンバレさんとは姉弟(私が一歳年下です)のように現在でも交流しております。彼女は佐々井秀嶺師が高齢でインド政府の少数派委員を退いた後、その任を命じられ、政府からニューデリーに事務所を与えられ実質インド仏教徒の代表者になっています。

現代インドの仏教において、最も必要とされるのは信仰的に導いてくれるリーダーです。それは僧侶に限りません。現在信仰的な拠り所として活動している人々は殆ど部派仏教の僧侶です。しかし真の意味でカーストから解放されるべき仏教徒の信仰すべき仏教の流れは、客観的に見ても大乗仏教であると思います。龍宮寺建立から関わっている日蓮宗も、これと言ってリーダーシップを発揮できないでいます。もっと深く関わる、よりインパクトの強い「信仰的リーダー」をじっと待っているのが現代インドの仏教の現状です。