こだわらないこと

 大乗仏教の根本儀は「空(くう)」の思想です。有名な般若心経などで唱えられている「色即是空、空即是色」の「空」です。勿論、法華経の中にも多く出てきます。「空」の思想はとても深遠なものですが、だからといって理解しなくてもよいというものではありません。私たちが暮らしの中で空の思想を使うことができなければ、それ自体存在価値が無くなってしまいます。何故ならそれはお釈迦様によって説かれた仏道の基本的思想である三宝印、諸行無常・諸法無我・寂滅涅槃と縁起の法によって、大乗仏教の祖龍樹菩薩が確立した大乗仏教の根本儀であり、それは私ども衆生を救済するために導きだされた真理だからです。だから私どもがそれを理解しなければ、それ自体存在価値がなくなるのです。

 私たちは「空」と聞くと、何か難しいような理解できないような気持ちになります。しかし、「空」とは私たちの日常生活に合わせて平易に言ってしまえば、「こだわらないこと」ということなのです。私たちは普段いろいろなことにこだわります。少し前までは「こだわる」ということはどちらかというと否定的な意味に捉えられていましたが、最近では「こだわりの料理」とか「こだわりの服」などと謳われ、肯定的に使われることも多くなってきました。しかしながら仏道では、あらゆる物事にこだわらず、即ち執着せず、心が空を舞う風のように自由になることを究極の目的とします。料理や服にこだわっている間はよいのですが、私たちはもっと根本的な心の苦しみや畏れに執着、つまりこだわります。それは私たちの根本的な苦しみ、即ち生老病死の四苦を考えてみても明らかです。生きていく上には幸せもありますが、そればかりではなく苦労や辛いこともあります。しかしながら私たちは苦を嫌い、避け、目を反らしずっと幸せでありたいとこだわります。老いていくことに対しても、老いていくことを苦と受け止め、ずっと若くいたいとこだわります。病気になることもそうです。ずっと健康でいたいとこだわります。そして究極的にはいつか死ななければならない限りある私たちの生命なのに、できれば死なないで永遠に生きたいとこだわります。人は皆生まれて生き、生きるうちには幸福も苦労もあり、年老いて病気になって死んでいくものなのだという自然の真理を受け入れ、こだわりを捨てることが出来れば、私たちの心はどんなに楽になるでしょうか。

 それでは何もこだわらずに、生きることもこだわらずにするには、即ち生きなければいいのだから命を断てばよい、ということになってしまい、ニヒリズム(虚無主義)に陥ってしまいます。仏道の「空」の思想は虚無主義ではありません。それは「こだわらない」ことにこだわってしまっているのです。仏道の「空」はこだわらないことにこだわってしまうことも否定します。だから「中道」と呼ばれるのです。いくら何事にもこだわらない心の自由を得ても、実際に私たちにはいろいろなことにこだわらなければならない日々の生活というものがあります。そうした日常生活を受け入れ営みながら、心に空を保ち、何事にもこだわらず自由自在の心を持って生きていくことができたなら、私たちの人生はどんなに楽になるでしょう。想像しただけでもわくわくしてきますね。

 大乗仏教の根本儀「空」とは、私たちが日常生活を営む上で、余計なこだわりを捨てて心を自由自在にするという心の持ち方を皆さんに提唱しています。仏教徒として是非実践してみてください。次回は、それではどうしたらこだわりを捨てることができるかということを書いてみたいと思います。