仏道の真髄を求めて

 日本の仏教には宗派というものがある。私は一人の仏教徒として日蓮宗という宗派に属する。何故日蓮宗に属するかというと、勉学や修行の末自主的に日蓮宗を選んで属したかというと正直そうではない。日蓮宗を信奉する家に生まれたからである。要するに寺の息子である。よって寺を継ぐため日蓮宗の祖師日蓮聖人のことも日蓮教学のことも可成り勉強したつもりである。日蓮宗の僧として、その依経とする法華経についても相当読み勉強しているつもりである。特に妙法蓮華経という経典に日蓮宗の縁を以て出会うことができた。これには殊更恩を感ずる。しかしそれで本当に日蓮宗の宗学が仏教中最高の教義かと言われれば、正直言って力強く頷ける程でもない。勉強不足であると言われてしまえばそれまでだが

 日本仏教各宗の祖師達にはそれぞれ憧れる。親鸞聖人のように生きたいとも思うし、法然上人のカリスマにも驚かされる。道元禅師や栄西禅師の厳格さにも敬服するし、伝教大師や弘法大師のように命を賭けて中国まで仏教を学びに行く姿には背筋がぞっとするような畏敬の念をも感ずる。勿論日蓮聖人の生き方にも強く感銘を受ける。しかしながら現代の世の中においてどの宗派も心から信奉できない。宗祖以後の宗派としての組織に問題がある。我が信奉するところの日蓮宗も、その本尊形態からして疑問がある。果たして宗祖日蓮聖人は、釈迦像、多宝仏像の前でその大きさも釈迦仏・多宝仏より大きくどっかりとお釈迦様に背を向けてお座りになっていることをよしとされているのであろうか。因に宗祖の御在世における聖人自身の本尊は釈迦牟尼立像であった。現在の日蓮宗は正直言って過度に祖師信仰に傾いていると思う。基本的に仏教徒の帰依するところは仏法僧の三宝である。(日蓮聖人は僧伽の大導師であるから釈迦多宝を仏と仰ぎ、法華経を法と仰ぎ、祖師像を僧と仰ぐからそれでよしとする説もあるが、日蓮聖人こそが本仏であるという「日蓮本仏論」が実際に宗門内に存在するのは確かである。)

 現在の日本仏教諸宗派の組織には幻滅するが、仏道には身命を賭けて帰依する。現代の仏教諸宗派組織に幻滅するからこそ逆に、仏道における、その真髄を求める気持ちは日に日に高まる一方なのかもしれない。毎日法華経を読誦する。当時亀茲(きじ)と呼ばれた中央アジアの国、現在の中国ウイグル自治区アクス地区クチャ県付近出身のクマーラジーヴァ(鳩摩羅什)訳の妙法蓮華経である。このクマーラジーヴァの翻訳した中国語の法華経をもとに中国の天台大師智顗が一大仏教哲学を構築した。天台学と呼ばれる。その哲学の代表的な教義は現在では心理学や脳化学などにも応用される程である。中央アジアの亀茲国出身のクマーラジーヴァは仏道の修学のためインドに留学している。そこで部派仏教(小乗仏教)・大乗仏教を修学し、自らは大乗仏教中観派の僧となる。二世紀頃出現したインド南部出身のナーガールジュナ(龍樹)によって確立された大乗仏教を信奉し、ナーガールジュナの中論及びナーガールジュナの著作ではないかと言われている大智度論を中国語に翻訳している。そればかりではない。ナーガールジュナの伝説などが記された「龍樹菩薩伝」等も翻訳している。その傾倒の程が伺える。天才と謳われたナーガールジュナは部派仏教・大乗仏教の経典をすべて読破し大乗仏教の教理を確立した。その功績により現在の中国・韓国・日本・ベトナム等に伝播した北伝仏教があるのである。釈迦牟尼の仏道はナーガールジュナの功績を以て大乗仏教として発展・伝播したと言っても過言ではない。

 亀茲国出身の大乗仏教僧クマーラジーヴァはその後中国の当時の長安、現在の西安にて還俗させられ訳経の使命を負うこととなる。その訳経の中でも一際有名な妙法蓮華経(法華経)の翻訳の際、その前半の中心部分である重要な哲理を自らの理解で発展させることとなる。梵本法華経の「五何法」を「十如是」へと意訳・発展させる。その十如是を基に後世天台大師智顗が仏教の一大哲学を構築する。十如是はナーガールジュナの著とされる大智度論中の九如是の発展形である。仏道の哲理は言葉としての形を変えても発展し続けるのである。その哲理を理に留めず、事の一念三千まで高めた日蓮聖人は、やはり偉大この上ない。釈迦牟尼仏陀よりナーガールジュナ、クマーラジーヴァ、智顗、最澄と伝播・発展し遂に日蓮に至ったのである。

 いつの日か、彼らの足跡を尊重讃歎しつつ畏敬の念をもって辿ってみたいものである。